謝罪文

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謝罪文。

stap細胞事件」、及び「hpvワクチン問題」、「きのこ組」告訴問題など関連して、片瀬久美子氏に対して、誹謗中傷する記事を、ブログ、TwitterFacebook、メルマガに投稿しましたが、このような投稿は、法的に違法になるものであり、ここに、深く反省し、謝罪すると同時に、今後、片瀬氏を誹謗中傷するような記事は書かないことをお約束します。また、片瀬氏に関するこれまでの私の投稿は、違法となるものであるため、私の投稿を転載し、掲載し続けている方は削除していただきますよう、お願い申しあげます。以上、よろしくお願いします。(山崎行太郎)

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■あまりにも「大月隆寛」的なお粗末な長崎事件現地報告!

    「長崎少女殺人事件」について大月隆寛が現地レポートを「諸君!」に発表している。しかしその内容たるや情けなくなるような幼稚なシロモノになっている。わざわざ現地取材してこんなモノを書くとは、さすがに「田口ランディ盗作騒動」の仕掛人らしいお粗末ぶりである。
 なんと言ってもその結論が、自称「民俗学者」らしく、まことにふるっている。大月隆寛曰く、これは「イナカのジケン」だ、と。田舎の山奥の貧しい少女が、都会育ちのエリート少女に嫉妬した挙句に惹き起こした殺人事件だ、というわけだ。
 いやはや。今時、この「田舎/都会」という図式による「田舎者の都会人コンプレックス」を殺人事件の原因理由、と考える人はおそらく大月隆寛ぐらいだろう。言うまでもなくこれは「60年代以前」の犯罪動機論に他ならない。要するに永山則夫以前の犯罪動機論だ。
 集団就職の少年たちが都会の生活に馴染めず、貧しさと劣等感から都会人へ恨みを抱き、それが動機で惹き起こした連続射殺事件や列車爆破事件!
 「山人をして平地人を畏れしめよ」(柳田国男)というわけである。さすが民俗学者らしい単純明快な、わかりやすい分析だ。
 大月は、このレポートを、犯人の少女が利用していた「バス停」の取材から始めている。少女の家まで行くのにはバス便も少なく、乗客もまばらで閑散としていた・・・・・・。
 しかしね、大月くん、今時、バス交通の「便/不便」を軸にモノを考えるのは都会の貧乏人ぐらいしかいないよ。
 こんな観察は無知無学もいいところだ。大都市以外は、交通網の中心は鉄道やバスではなく自家用車であることは今やニッポンの常識だろう。つまり鉄道やバスが不便でも廃止されても誰も困らない。そもそもバスや鉄道を利用するのは老人と子供ぐらいしかいないのである。
 少女の家も、父も母も日常は車で移動しているのである。バス便が少ない山奥は交通不便な田舎で、友達も訪ねてくることはなく、少女は孤独な山奥暮らしを強いられていた、その結果、裕福な都会人たる新聞記者の娘に嫉妬と恨みの感情を膨れ上がらせ、とうとう殺人に至った。なんていう発想は、現実をまったく無視している。
 いかにも所沢在住の貧乏人らしい発想である。
 
山崎行太郎

■事件当日の真相が知りたければ、「週刊現代」を読め!

cogitoergosum2004-06-28

 月曜発売の「週刊現代」が、事件当日の学校側の対応や警察の動きを詳細に報告している。新聞もテレビも週刊誌も報道規制で沈黙する中で、「週刊現代」のこの記事はなかなかの読み物だ。事件を知った教頭が、この事件を揉み消そうとして、警察への通報が遅れたこと、しかも警察への通報で事件の悲惨さと残酷さを伝えなかったこと、警察が一部の生徒を尋問し、調書を作成、指紋押捺させたこと……。
 いろいろとアブナイ問題点を暴露している。

■月刊誌『自由』に、こんな「2ちゃんねる」擁護論を書きました。

cogitoergosum2004-06-24

平成文壇血風録  (「月刊自由」7月号。連載コラム)


 「2ちゃんねる」が日本を救う!

 ■「長崎少女殺人事件」が暴露したもの。

 長崎県佐世保市の大久保小学校(出口叡子校長、56歳)で起きた同級生殺人事件は、多くの問題をわれわれに投げかけているが、その一つが「ネット」や「チャット」、あるいはもっと具体的に言えば「2ちゃんねる」という問題であることは誰も否定しないだろう。
 事件直後から現在まで、新聞やテレビを初めとして、いわゆる識者と言われる人たちの意見の多くも、そこに、つまり「2ちゃんねる」批判に集中している。しかし彼らの多くは、「パソコン」や「チャット」、あるいは「匿名掲示板」そのものをよく理解していないし、ましてや「2ちゃんねる」という「巨大掲示板」が何であるかを知らない。ただ、「噂話」を聞いた程度の知識で頭ごなしに批判しているだけである。
 そもそも、「2ちゃんねる」という掲示板に膨大な人が集い、虚実入り混じった様々な情報が飛び交っているという現実こそが、「2ちゃんねる」の「2ちゃんねる」たる所以である。われわれは、新聞やテレビ、週刊誌の中途半端な二次情報に飽き足らず、より現実や現場に近い「生きた情報」に飢えているのである。「2ちゃんねる」が今や日本の言論を動かすほどの力を持つに至った理由はそこにある。
 新聞やテレビ、週刊誌は問題の本質を見誤り、見当違いの「チャット」批判や「2ちゃんねる」批判でお茶を濁そうとしているが、そのためにもっとも重要な問題であったはずの、事件現場となった学校や家庭の責任問題等が黙殺され、軽んじられている。そのかわりに、あたかも学校や教職員までもが「2ちゃんねる」等の「被害者」であるかのような風潮が蔓延している。

■病院に逃げ込んだ担任教師の無責任。

 この残虐な殺人事件の被害者少女と加害者少女の二人の担任だった35歳の男性教師にいたっては、さっさと病院へ逃げ込み、一部には「担任隠し」だという意見もあるが、いずれにしろ完全に責任問題から逃避することに成功している。「2ちゃんねる」のカキコミによると、この男性教師こそが、一部の弱い生徒への「生徒イジメ」を繰り返し、そういう生徒からの苦情や批判は無視した上に、クラスの荒廃を黙認していた張本人だったらしいのだが……。  
 おそらくこれからこの種の事件が学校で起きると、担任や責任者はすぐ「入院」ということになるだろう。「責任逃れ」のいい前例を作ってくれたものである。
 今や、事件現場である学校や家庭への責任追及の矛先は、「チャット」や「2ちゃんねる」に向けられている。しかも、校長にいたっては、生徒や父兄に、「事件は早く忘れなさい!」「情報はマスコミに洩らすな!」と厳しい「緘口令」(言論統制)をしていると言う。こういうスターリン国家なみの情報統制と情報封鎖で管理しようとするからこそ、「2ちゃんねる」の掲示板が活気付くのである。つまり「2ちゃんねる」は、少年法という悪法による言論弾圧思想統制、情報封鎖という現実に対する、一般庶民の側からの「異議申立て」の一種なのである。

■「2ちゃんねる」こそ健全なメディアだ!

 「少年法」や「人権」「プライバシー」という「観念」の肥大化とともに従来の大手メディアは機能不全に陥っている。少年・少女の人権を守るために作られた少年法が、今や少年・少女を犯罪に巻き込む道具と化しているのだが、誰もそれを批判できなくなっている。少年法という妖怪が一人歩きしているのだ。「人権派弁護士」と言われる連中は、この悪法を利用して、あたかも「被害者少女」に事件の責任があるかのように、「加害者少女」(殺人犯人!)が次から次へと自白する「嘘」と「デッチアゲ」情報を垂れ流している。
 セカンド・レイプという言葉があるが、被害者少女は残酷に刺し殺された上に、悪質な「イジメッ子」だったかのように、本名、顔写真公開の上で断罪され続けている。被害者少女は、少年法という悪法のな名のもとに、一度ならず、二度、三度と殺され続けているのである。
 こういう倒錯した悪法がまかりとおる異常事態にマスコミは無力である。この残虐な「殺人事件」を、あたかも偶然に起きた「小学生の事故死」のように「死亡事件」と呼ぶ新聞まで登場している。そしてそのあげく「チャット」や「2ちゃんねる」への批判でお茶濁している。明らかに問題のスリカエである。

■ 「人権派弁護士」こそ諸悪の根源だ?

 しかし、それにもかかわらず、と言うべきか、それ故にと言うべきか、「2ちゃんねる」の存在意義はますます大きくなっている。そこでは、法律の網をかいくぐってでも、事件の真相を究明しようという人たちが無償で書き込みを続けている。
 今回の加害者の本名や顔写真も、新聞やテレビ、週刊誌よりも先にそこで公開された。それらは明らかに少年法に違反する行為だが、実はこういうカキコミ(公開)自体が少年法自体への批判という意味を持っている。少年法という法律を振りかざして加害者少女を守ろうとする「長崎県法務局」や「人権派弁護士」は、さっそく「2ちゃんねる」の責任者に削除依頼を出したらしいが、ほとんど効果はなかった。一部が削除されてもコピー等の技術によって加害少女の個人情報や顔写真は、すでにネットの世界に爆発的に広まってしまった後だったからだ。
 人の口に戸は立てられない。おそらくパソコンやチャット、あるいは「2ちゃんねる」的な世界にも戸は立てられない。そこを法律で規制していこうとすると言論弾圧思想統制、情報操作という異常事態を招くだけだろう。「トランジスタ・ラジオ(あるいはテレビ)から革命が起こった」ように、パソコンから革命が起こる時代に来ていると言っていい。
 それを象徴するのが今回の「2ちゃんねる」騒動だった。 




                写真は
       「2ちゃんねる」の「いたずら」に引っ掛かった
        毎日新聞記者の「2ちゃんねる」批判の「記事」

■資料……二十一日夜、PTA臨時総会が開かれた。

 この校長は、50歳前後の若さで校長になり、すでに7年間校長職にある。この年齢が、早すぎか普通か。どうなのだろう。もし、かなり早い校長昇進だとすれば、当然、この校長の学歴や経歴が知りたくなる。
 病院に逃げ込んだ「小6の担任教師」については「週刊文春」が取り上げているが、残念ながら突っ込みが足りない。入院先の病院を突きとめ、インタビューが無理なら、病院の写真でも公開してもらいたいものだ。この教師の氏素性とともに。現場の責任者なんだから、それぐらいはいいはずだが。それも隠さなければならない学校って、いったい何なのだろう。
 学校関係者は、外部からの侵入者ばかりを警戒しているようだが、犯人は中にいるのだ。とすれば、学校の内部は、警察やマスコミも手が出せない「無法地帯」と言うことだろう。それがわかってても子供を人質に取られているから父兄は沈黙する。マスコミ対策ばかり考えている校長や教育委員会もアワレだが、それを追及しない父兄も、警察も大手マスコミもアワレだ。




以下は引用です。


 ≪学校対応に批判集中 大久保小PTA臨時総会
佐世保】小六女児同級生殺害事件が起きた佐世保市立大久保小(出崎睿子校長)で二十一日夜、PTA臨時総会が開かれた。
事件の経過説明と今後の対応について話し合う集会だったが、保護者からは「説明が足りない」「意見が聞き入れられない」などと学校側への批判が噴出。
事件後、学校が口を閉ざし、親たちとともに事件に向き合う機会がなかったためで、保護者らの根強い不信感の存在をうかがわせた。
総会は非公開で、保護者ら約百人と、出崎校長ら全教職員が出席。市教委は出席を希望したが、保護者から拒否された。
保護者と学校との対話の機会は、事件翌日の二日に開かれた保護者説明会以来。
出席者によると、冒頭、出崎校長が事件経過を報告すると、「下を向くな」「毅然(きぜん)としろ」と怒号が飛び交った。
今後の対応についての意見交換では、保護者側から
「事件を忘れるのではなく、みんなで泣き、意見を出し合うことが必要だったはず」
「自己保身でマスコミ対策をしたのではないのか」など、対話不足と、マスコミへの取材拒否を徹底させたことなどこれまでの学校側の対応に批判が集まったという。
「一体、心の教育は何をやってきたんだ」。ある父親が声を荒らげ、出崎校長は
「道徳などをやってきたが…。今から何をすべきか、これまで何が足りなかったのかを考えたい」と答えるのがやっとだった。
事件現場となった校舎三階の学習ルームの改修にも議論が集中。「事件後の対応に保護者の意見が生かされていない」との不満が渦巻いた。
PTAが保護者アンケートで改修についての考えを集約している最中に、市教委は改修費八百万円を開会中の市議会に予算計上すると発表したからだ。
保護者は「市教委の主導で改修が計画されるのはおかしい」「一番の問題は、学習ルームの在り方にPTAの要望が反映されていない点だ」と指摘。
出崎校長は、アンケート結果で「学習ルームのスペースそのものをなくす」との意見が多かったことを市教委に伝える考えを示した。
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/syou6/kiji/2004062201.html

     ・・・・・・ 引用はココまで・・・・・

■資料……長崎事件、学校側が保護者らに取材拒否を要請の本末転倒。

長崎事件の現場となった大久保小学校の校長は、「知らぬ存ぜぬ」と、トボケていたが、その裏で、スターリンも真っ青の恐怖政治・情報統制を試みているらしい。なるほど、若くして校長になった女性校長のやることは違う。こんな姑息な手で、問題をうやむやにしたいのだろうが、事件そのものの凶悪さのレベルが違うのだ。



以下は引用です。

マスコミ過熱、学校が保護者らに取材拒否を要請

 【佐世保佐世保市立大久保小の六年女児同級生殺害事件は衝撃的な内容だけに、殺害現場となった学校や保護者などへのマスコミ取材が過熱。一方、学校側は取材に一切応じないよう保護者らに求めており、こうした情報遮断がかえって取材攻勢に拍車を掛けているとの指摘もある。

 「マスコミが加害女児の写真を児童に見せて確認していた」「保護者に成り済まして、電話で児童から事情を聴きだそうとした」。事件後、現場周辺には全国から百人を超える報道陣が押し寄せた。複数の保護者が、モラルを踏み外した一部取材により、事件のショックに加え”二次被害”が生じたと批判する。

 少年事件という理由で県警や関係機関は固く口を閉ざし、学校側も神経をとがらせた。事件後、児童の集団登下校が続けられているのも、「児童への直接取材を避けるため」とPTA関係者。PTA役員らは地域を自主的に回り、児童に直接取材している現場を見つけるたびに抗議した。学校側は保護者説明会や学級連絡網などを通じ、保護者や児童らに「取材は一切受けないでほしい」と取材拒否を徹底した。

 事件直後の記者会見で、校長らは「(加害女児に)おかしなことはなかった」と断言。しかしその後、事件の兆候ともいえる女児の行動がマスコミにより次々と明らかにされた。市教委は事件発生から八日たってようやく、カッターナイフを振り上げるなど事件前の女児の行動を発表した。

 「学校が情報漏れを恐れるのは自己保身のため。だが、報道が先行したので出さざるを得なくなったのでは」と、ある保護者は憤る。ところがその一方、「誰がマスコミにしゃべったのか」と保護者同士で疑心暗鬼になっているという。

 別の保護者は「警察や学校が情報提供しないから報道が過熱する」と指摘。母親の一人は「全国の親がこの事件を教訓にしたいはず。事実を明らかにしたいとの思いをなぜ、学校が差し止めなければならないのか」と疑問を投げ掛けた。



2004年6月16日≫

      …………引用はココまで・・………




しかし、それにしても、この学校のやることはまったくヒドイものだな。

■池田晶子が「週刊新潮」コラムで「匿名」のカキコミは卑怯だ、と発

cogitoergosum2004-06-20

 コラムニストか哲学者か知らないが、最近よく見かけるモノ書きの一人に池田晶子がいる。埴谷雄高論でデビューした女性だが、最近は「週刊新潮」にもコラムを連載している売れっ子だ。そこで、今回の長崎事件について彼女がどう論じているのか知りたいと思って覗いてみた。しかし予想通りやはりダメだった。完全に新聞やテレビの情報操作と誘導尋問に乗せられて書いている。池田は、殺人事件そのものについてではなく、「2ちゃんねる」や「チャット」批判という切り口でこの問題を論じている。「匿名掲示板」のカキコミは、匿名と言う隠れ蓑に隠れてのカキコミで、無責任で「卑怯」だ、と。批判したければ、名前を公表してから堂々と批判しろ、と言うわけだ。ああ、なんという紋切り型!
 池田のこの批評(批判)は、チャットや掲示板批判としてももっとも常識的で安直なステレオタイプにはまりこんでいると言っていい。タイトルは「パソコンに責任はない」となっているが、内容は初歩的なパソコン批判に終始している。
 彼女は、自分はパソコンは使わないと、大見得を切っているが、いまどき、その種の言葉に何か深い意味付けをしようとすること自体が陳腐なのだということがわかっていないようだ。ワープロを使おうがパソコンを使おうが、あるいはまたペンや鉛筆で手書きしようが、そこにたいして変わりはない。あると思うのはロマン主義者の幻想である。かつては万年筆やエンピツですら新しい情報器具だったのであって、パソコンより万年筆が思想や哲学を表現する情報道具として根源的で本質的だということにはなるまい。そんなことにこだわりたければ、万年筆やエンピツもやめて、墨をすり毛筆を使って書いたらどうか。
 ネットの匿名掲示板が「卑怯」「下品」な文化の掃き溜めで、池田の書く「週刊新潮」のコラムそうでないという保証も論拠もどこにもない。単なる思いこみのアナクロニズムに過ぎない。たとえば、テレビのコメンテーターは、テレビ画面に顔をさらし、いかにも自分の意見を自己責任において述べているかのように発言しているが、実際は番組製作者の役付けに従って、ロボットのように口をパクパクさせているだけだという話は今や常識だろう。新聞も週刊誌も似たようなものだろう。自分だけは、個性的な発言をしているというのは錯覚であり、自己欺瞞であり、幻想である。それを知ってしまった現代人は、下品で卑怯で、いかがわしい、と百も承知の上であえて「ネット」や「匿名掲示板」に向かうのである。そこが最新情報今や誰もテレビや新聞や週刊誌のお上品で表面的な発言を信用しなくなったのである。いかがわしく卑怯な情報空間だからこそ人はそこに集まるのだ。そもそも匿名の情報が正確でないと誰が決めたのか。匿名だからこそ真実の情報が虚実入り乱れて飛び交うのだ。
 池田にはこの構造がまったく読めていない。
 現に、最近のテレビ、新聞、週刊誌の「新情報」の多くは、ネットからのパクリや受売りがほとんどではないか。「2ちゃんねる」が加害者の個人情報を晒したと批判する一方で、「2ちゃんねる」に公開された写真をちゃっかり拝借して掲載しているのが週刊誌である。
 いや、警察の捜査さえネットより遅れているというではないか。つまり警察官の聞きこみ情報より、ネットの匿名掲示板のカキコミの情報の方が早く、且つ正確なのである。
 
          (写真は加害少女の自宅?)