■あまりにも「大月隆寛」的なお粗末な長崎事件現地報告!

    「長崎少女殺人事件」について大月隆寛が現地レポートを「諸君!」に発表している。しかしその内容たるや情けなくなるような幼稚なシロモノになっている。わざわざ現地取材してこんなモノを書くとは、さすがに「田口ランディ盗作騒動」の仕掛人らしいお粗末ぶりである。
 なんと言ってもその結論が、自称「民俗学者」らしく、まことにふるっている。大月隆寛曰く、これは「イナカのジケン」だ、と。田舎の山奥の貧しい少女が、都会育ちのエリート少女に嫉妬した挙句に惹き起こした殺人事件だ、というわけだ。
 いやはや。今時、この「田舎/都会」という図式による「田舎者の都会人コンプレックス」を殺人事件の原因理由、と考える人はおそらく大月隆寛ぐらいだろう。言うまでもなくこれは「60年代以前」の犯罪動機論に他ならない。要するに永山則夫以前の犯罪動機論だ。
 集団就職の少年たちが都会の生活に馴染めず、貧しさと劣等感から都会人へ恨みを抱き、それが動機で惹き起こした連続射殺事件や列車爆破事件!
 「山人をして平地人を畏れしめよ」(柳田国男)というわけである。さすが民俗学者らしい単純明快な、わかりやすい分析だ。
 大月は、このレポートを、犯人の少女が利用していた「バス停」の取材から始めている。少女の家まで行くのにはバス便も少なく、乗客もまばらで閑散としていた・・・・・・。
 しかしね、大月くん、今時、バス交通の「便/不便」を軸にモノを考えるのは都会の貧乏人ぐらいしかいないよ。
 こんな観察は無知無学もいいところだ。大都市以外は、交通網の中心は鉄道やバスではなく自家用車であることは今やニッポンの常識だろう。つまり鉄道やバスが不便でも廃止されても誰も困らない。そもそもバスや鉄道を利用するのは老人と子供ぐらいしかいないのである。
 少女の家も、父も母も日常は車で移動しているのである。バス便が少ない山奥は交通不便な田舎で、友達も訪ねてくることはなく、少女は孤独な山奥暮らしを強いられていた、その結果、裕福な都会人たる新聞記者の娘に嫉妬と恨みの感情を膨れ上がらせ、とうとう殺人に至った。なんていう発想は、現実をまったく無視している。
 いかにも所沢在住の貧乏人らしい発想である。
 
山崎行太郎