■月刊誌『自由』に、こんな「2ちゃんねる」擁護論を書きました。

cogitoergosum2004-06-24

平成文壇血風録  (「月刊自由」7月号。連載コラム)


 「2ちゃんねる」が日本を救う!

 ■「長崎少女殺人事件」が暴露したもの。

 長崎県佐世保市の大久保小学校(出口叡子校長、56歳)で起きた同級生殺人事件は、多くの問題をわれわれに投げかけているが、その一つが「ネット」や「チャット」、あるいはもっと具体的に言えば「2ちゃんねる」という問題であることは誰も否定しないだろう。
 事件直後から現在まで、新聞やテレビを初めとして、いわゆる識者と言われる人たちの意見の多くも、そこに、つまり「2ちゃんねる」批判に集中している。しかし彼らの多くは、「パソコン」や「チャット」、あるいは「匿名掲示板」そのものをよく理解していないし、ましてや「2ちゃんねる」という「巨大掲示板」が何であるかを知らない。ただ、「噂話」を聞いた程度の知識で頭ごなしに批判しているだけである。
 そもそも、「2ちゃんねる」という掲示板に膨大な人が集い、虚実入り混じった様々な情報が飛び交っているという現実こそが、「2ちゃんねる」の「2ちゃんねる」たる所以である。われわれは、新聞やテレビ、週刊誌の中途半端な二次情報に飽き足らず、より現実や現場に近い「生きた情報」に飢えているのである。「2ちゃんねる」が今や日本の言論を動かすほどの力を持つに至った理由はそこにある。
 新聞やテレビ、週刊誌は問題の本質を見誤り、見当違いの「チャット」批判や「2ちゃんねる」批判でお茶を濁そうとしているが、そのためにもっとも重要な問題であったはずの、事件現場となった学校や家庭の責任問題等が黙殺され、軽んじられている。そのかわりに、あたかも学校や教職員までもが「2ちゃんねる」等の「被害者」であるかのような風潮が蔓延している。

■病院に逃げ込んだ担任教師の無責任。

 この残虐な殺人事件の被害者少女と加害者少女の二人の担任だった35歳の男性教師にいたっては、さっさと病院へ逃げ込み、一部には「担任隠し」だという意見もあるが、いずれにしろ完全に責任問題から逃避することに成功している。「2ちゃんねる」のカキコミによると、この男性教師こそが、一部の弱い生徒への「生徒イジメ」を繰り返し、そういう生徒からの苦情や批判は無視した上に、クラスの荒廃を黙認していた張本人だったらしいのだが……。  
 おそらくこれからこの種の事件が学校で起きると、担任や責任者はすぐ「入院」ということになるだろう。「責任逃れ」のいい前例を作ってくれたものである。
 今や、事件現場である学校や家庭への責任追及の矛先は、「チャット」や「2ちゃんねる」に向けられている。しかも、校長にいたっては、生徒や父兄に、「事件は早く忘れなさい!」「情報はマスコミに洩らすな!」と厳しい「緘口令」(言論統制)をしていると言う。こういうスターリン国家なみの情報統制と情報封鎖で管理しようとするからこそ、「2ちゃんねる」の掲示板が活気付くのである。つまり「2ちゃんねる」は、少年法という悪法による言論弾圧思想統制、情報封鎖という現実に対する、一般庶民の側からの「異議申立て」の一種なのである。

■「2ちゃんねる」こそ健全なメディアだ!

 「少年法」や「人権」「プライバシー」という「観念」の肥大化とともに従来の大手メディアは機能不全に陥っている。少年・少女の人権を守るために作られた少年法が、今や少年・少女を犯罪に巻き込む道具と化しているのだが、誰もそれを批判できなくなっている。少年法という妖怪が一人歩きしているのだ。「人権派弁護士」と言われる連中は、この悪法を利用して、あたかも「被害者少女」に事件の責任があるかのように、「加害者少女」(殺人犯人!)が次から次へと自白する「嘘」と「デッチアゲ」情報を垂れ流している。
 セカンド・レイプという言葉があるが、被害者少女は残酷に刺し殺された上に、悪質な「イジメッ子」だったかのように、本名、顔写真公開の上で断罪され続けている。被害者少女は、少年法という悪法のな名のもとに、一度ならず、二度、三度と殺され続けているのである。
 こういう倒錯した悪法がまかりとおる異常事態にマスコミは無力である。この残虐な「殺人事件」を、あたかも偶然に起きた「小学生の事故死」のように「死亡事件」と呼ぶ新聞まで登場している。そしてそのあげく「チャット」や「2ちゃんねる」への批判でお茶濁している。明らかに問題のスリカエである。

■ 「人権派弁護士」こそ諸悪の根源だ?

 しかし、それにもかかわらず、と言うべきか、それ故にと言うべきか、「2ちゃんねる」の存在意義はますます大きくなっている。そこでは、法律の網をかいくぐってでも、事件の真相を究明しようという人たちが無償で書き込みを続けている。
 今回の加害者の本名や顔写真も、新聞やテレビ、週刊誌よりも先にそこで公開された。それらは明らかに少年法に違反する行為だが、実はこういうカキコミ(公開)自体が少年法自体への批判という意味を持っている。少年法という法律を振りかざして加害者少女を守ろうとする「長崎県法務局」や「人権派弁護士」は、さっそく「2ちゃんねる」の責任者に削除依頼を出したらしいが、ほとんど効果はなかった。一部が削除されてもコピー等の技術によって加害少女の個人情報や顔写真は、すでにネットの世界に爆発的に広まってしまった後だったからだ。
 人の口に戸は立てられない。おそらくパソコンやチャット、あるいは「2ちゃんねる」的な世界にも戸は立てられない。そこを法律で規制していこうとすると言論弾圧思想統制、情報操作という異常事態を招くだけだろう。「トランジスタ・ラジオ(あるいはテレビ)から革命が起こった」ように、パソコンから革命が起こる時代に来ていると言っていい。
 それを象徴するのが今回の「2ちゃんねる」騒動だった。 




                写真は
       「2ちゃんねる」の「いたずら」に引っ掛かった
        毎日新聞記者の「2ちゃんねる」批判の「記事」